国内事業

ブルーフラッグ交流会に参加しました

「ブルーフラッグ」という国際環境認証があるということをご存知の方は少ないかもしれません。
これはビーチやマリーナを対象として、その水質、環境マネジメント、環境教育、安全とサービスの状況が国際的に優れていると認証されるヨーロッパで始まった制度です。世界50の国と約4000箇所で取得されているそうです。

この認証を日本で初めて取得しようとしているのが、福井県高浜町です。
若狭湾を臨む高浜町のビーチは本当にきれい。このきれいな海は町の人々の努力によって支えられています。地域の誇りであるこの浜を、国際認証を取得することで世界の人にもわかってもらいたい。そんな気持ちから始まった活動だそうです。

日本にはまだない「ブルーフラッグ」なるもの。地域の中でみんなが知っているとまではなかなかいきません。そこで観光協会では清清しい青色の旗をつくり町内のお店などに設置、みなさんの目に止まるような工夫をしています。また、10月17日には町内で交流会を開催することとなり、GEOCからも参加してきました。

交流会は海辺での体験メニュー、シンポジウム、懇親会の3本だて。ブルーフラッグの説明やほかの取得ビーチの魅力について伺ったり、高浜のビーチをどんな風にデザインするかを共有したり。最後の座談会では取得に向けてそれぞれの立場で参画している町の方々の意気込みについてお話しを伺いました。

 

僭越ながらパネリストとして登壇させていただき、取得のために外部の基準を持ってきて機械的に進めるのではなく地域の方と自分たちの活動を通じて本質的な仕組みを協働で作っておられることについてコメントさせていただきました。

認証制度の怖いところは、取得が目的になってしまいがちなところ。でも高浜の方々は、今、自分たちがやっていることが繋がったその先に、認証制度の基準クリアがあると考えています。またその取組みが深まり地域にとっても良い効果を生むことを大切にしておられました。

  


もうひとつ印象的だったのは海を観光資源としてではなくみなさんの「庭」のように大事にする日本らしさがでていること。海外のブルーフラッグビーチを知っている観光客がいらした時にも、日本の自然を尊重する文化と共にビーチを楽しみ、その中で高浜のファンが増えていくのではないかと思いながら帰ってきました。
その先に、認証制度の基準クリアがあると考えています。またその取組みが深まり地域にとっても良い効果を生むことを大切にしておられました。

ブルーフラッグについて(FEE Japan)
http://www.feejapan.org/blueflag/
ブルーフラッグ取得をめざして(若狭高浜観光協会HP内)
http://www.wakasa-takahama.jp/blueflag/index.html

ESD環境教育プログラム 成果報告会・交流会に参加しました

2015年7月29日に行われた、「ESD環境教育プログラム成果報告会・交流会」に参加してきました。環境省は、平成25年度から小・中学生向けの環境教育モデルプログラムを作成し、学校の先生などの意見を取り入れながら主に地域の学校現場で実証する事業を全国で行ってきました。今回は、これまで実際に学校現場等でプログラムを実践してきた実践者からの報告と、プログラムを地域でさらに発展させるため、地域の社会教育施設と協働したプログラム運営のあり方について考えるトークセッションを行う交流会が、よこはま動物園ズーラシアにて開催されました。当日の内容は、エクスカーション体験、ポスターセッション、トークセッションと見所満載でした。

 まず、11時から「エクスカーション体験」が行われました。初めに、共通プログラムとして、「ズーラシアスクール実施の目的及び概要」についてのお話がありました。その後、園内移動のうえ、ESDプログラムを、A「日本の絶滅危惧動物」、B「身近な生き物」、C「チンパンジーの森に関わる人々」の3つに分かれて体験しました。それぞれの内容は、ズーラシアスクールで行われているプログラムと共通しているようでした。  

 

 私はCの「チンパンジーの森に関わる人々」に参加しました。チンパンジーを観察して、生態や特徴、生息環境などについて学びました。コースの所々に看板が立っていて、チンパンジーの森に関わる様々な立場の人の意見や主張が書かれていました。例えば、木材会社に雇われているきこりや、研究者、村の子供など、全部で6人の主張がありました。それぞれの言っていることは正しく、理解できるのだけれども、チンパンジーの森に関わる人みんなが、納得のいく関わり方をすることはなかなか難しいように思いました。というのも、例えば、木材会社に関わる人にとっては、木材は商売道具であり、それが生きていくためには必要です。

しかし、チンパンジーやチンパンジーの研究者にとっては、木を切られることは好ましくありません。なぜなら、チンパンジーも生きていくためには木が必要だからです。たった二つの立場を取り上げただけでも、すでに反発しています。これがさらに6通りあるということは、より構図は複雑になります。しかし、彼らは、「生きるために一生懸命」という部分で共通していると思います。決して、相手の害になるようなことをしたくてしているわけではありません。生きるためには仕方ないと思っているのです。ただ、これからもずっと「仕方ない」で済ませていっても良いのでしょうか。各々が、自分のことばかり考えず、チンパンジーと森、森に関わる人々にとってよりよい未来になるように協力し、共に考えていく姿勢が必要だと感じました。根底にある想いは同じなので、きっと協調できると思います。

 

 

13時10分からは、全国を8ブロックに分けた、「ポスターセッション」が行われました。どの地域の方も、熱く、生き生きと、希望に満ちた表情で、実践について語られている姿が印象的でした。また、各県とも、自分たちの地域の自然や環境などの魅力を生かした取り組みを行っていて、興味深いものばかりでした。私は、自分の住む関東ブロックで、静岡県の「緑のカーテンからはじめよう」という実践について、お話を伺いました。この実践は、緑のカーテンで夏季の気温上昇を制御することだけが目的ではなく、太陽光が大きなエネルギーを持っていることにも触れていて、自然エネルギーの活用についても考えられるようになっていました。「緑のカーテン」は、比較的場所を選ばず、実践しやすい取り組みだと思いました。また、関西ブロックでは、京都府の「『歩くまち京都』学習」についても、お話を伺いました。この実践は、CO2排出量を比較することで、クルマは便利な反面、増えすぎることによる弊害があることを知り、クルマとの賢いつきあい方が考えられるようになっていました。実際に、市バスや電車の有効性について改めて考えさせられました。こちらは、観光客の多い、京都府ならではの悩みから生まれた実践だと思いました。

 

 


そして、14時20分からは、「トークセッション」が行われ、「教育施設におけるESD展開の可能性」についてのお話を伺うことができました。やはりこれからは、学校と社会教育施設とのつながりが重要になってくるということを感じました。特に小学校と教育施設のつながりは深いですが、ただ楽しんで終わりではなく、事前学習と事後学習に一貫性が必要というお話もあり、協働し、なおかつその機会を最大限に生かす活動の工夫が大切なのだと知りました。それから、個人的には、「sense of wonder」のお話が印象的で、ぜひ、レイチェル・カーソンのお話を読んで、「一生忘れたくない感性」として、周りの人にも伝えたいと思いました。

 

 

今回、「ESD環境教育プログラム」に参加できたことは私にとって、とても貴重な体験となり、また、私の人生にも大きな影響を与えるものでした。ESDという言葉は、実際のところ、まだそこまで浸透していないように思います。しかし、知らないだけで、知る機会があれば、絶対に多くの人が興味を持つと思います。私は今回の体験で、ESDは「自分たちの手で自分たちの暮らしや環境をよりよくしていくもの」なのだと思いました。そのためには、自分たちの利益だけではなく、自分たちも自然も両方を守っていけるような、win-winの関係になる必要があると思います。また、ESDは能動的な取り組みであると思います。待っているだけの受身の姿勢では、社会をよりよくしていくことは困難です。能動的な姿勢があれば、現在の地域社会に存在する様々な問題に対しても、自ら課題を見つけ、学び、考え、判断し、他者と協力しながら行動していけると思います。それから、ESDは、様々な機関の協力が必要なため、社会をよりよくするだけでなく、希薄になってきた現代の人間関係にも、再び「つながり」が生まれ、明るい兆しを与えてくれるのではないかと思います。みんながESDの担い手であり、みんなでよりよい未来を創っていけるようになったら、とても素敵ではないでしょうか。今後ますますESDの活動が発展していくよう、少しでも力になりたいです。
               

                                                                                                                2015年 インターン生 I

公害資料館連携フォーラムin富山 Vol.5 ~フォーラム全体を振り返って~

こんにちは!

これまで4回に渡って「公害資料館連携フォーラムin富山」の報告を行ってまいりましたが、フォーラム全体を踏まえての個人的な気づきをまとめ代わりに書きたいと思います。

1.その地域らしさの可視化

ここでいう地域「らしさ」には、公害の歴史そのものに直接関わるものと、景観や文化といったより雰囲気に近いものの2種類があると思います。富山のフォーラムでは、前者として、全国の公害発生地域においても特筆すべき「企業との関係性」がフォーカスされました。後者では、エクスカーションで見た田んぼが象徴的であり、お話を聞く前はどこにでもある田んぼの風景だったのが、背景となるお話を聞くことでそれらが全く違って見えました。理解して見直してみることで、その地域でいかに稲作が身近で日常的においしいお米が食べられたかということが無言のうちに伝わります。

このネットワークが公害教育を全国規模で普遍化させていく取り組みである一方で、その公害がなぜその地域で起きたのか、なぜそこまで被害が拡大したのか、ということについては地域性が当然あると思います。公害問題を考える際に、やはり地域特有の文脈が見える「らしさ」があると、学びが増幅されると感じました。次にフォーラムが開催される地域でも、何かしらその地域らしさを出していくことが大切だと思います。

 

2.情報の相互蓄積

とある公害資料館に行けば、基本的にその公害についての資料のみしか置いていなかったのがこれまででした。しかし実際に何かを学んでいくプロセスでは、一つの事例を学びながら他の事例に関心を持ったり、相対的にいくつかを見ることでかえって理解が深まったりということがあると思います。例えば公害教育ひとくくりの中にも、行政責任の問われ方の違いや原因が大気か水(化学物質)かという違いなど無数の違いがあります。そのような他の公害の特徴や現状を見える化していきながら、ある程度共通するであろう社会の仕組みなどに対する普遍的な問題提起をしていくことが全国でつながる強みだと思います。

今回、ネットワークに参加する全国各地の資料館のパンフレット等が富山県立イ病資料館に集まり、その一部をGEOCでも配架しています。今後も公害資料館同士、もっと広がって社会教育施設同士が出している情報を相互に蓄積・発信していくことが重要だと思いました。お互いの関連性を提供し合うことで、利用者も次なる関心につながりやすく、資料館の中の方々にとっても他を知る良い機会になると思いました。

 

3.資料館を活用する機会の創出

私自身もこの業務に関わるまでは、公害に対する知識は小学5年の社会の授業で4大公害について習ったっきりであり、それまで公害資料館の存在を知ってはいても、行く機会がなかったのが正直なところです。それが、例えば今回のように広く「公害教育」という枠組みの中で、CSR、環境教育、展示やフィールドワークのあり方など派生する様々なテーマがあることで、そのテーマに関心のある多くの人も同じ資料館に集まりました。

資料館の活用が一通り「公害について学ぶ」の一回限りで終わってしまうとそれはもったいないと思うので、例えば地域の環境NPOなども一緒になって資料館を活用する機会を考えて生み出し行くことが継続されることで、地域に根付いていくのだと思います。潜在的に資料館の周辺で活動している方はたくさんいらっしゃると思いますので、そういった方たちが資料館を利用する機会を作れないか、そんなことを思いました。

最終日全体会の様子

最終日全体会の様子

 

長くなってしまいましたが、以上で「公害資料館連携フォーラムin富山」の報告を終わりたいと思います。お付き合いいただきましてありがとうございました。

kensuke eguchi

公害資料館連携フォーラムin富山 Vol.4 ~学校で公害について学んでいくこと~

こんにちは!

第4回目となる公害資料館連携フォーラムin富山の報告です。先日のブログでは「企業との関係づくり」分科会についてご紹介しましたが、今回は「学校との関係づくり」について書きたいと思います。

「学校との関係づくり」分科会は、1日目と2日目にそれぞれ違うテーマで開催されました。1日目には、県内の小学5年生に配布される「イタイイタイ病副読本」の作成に携わった富山国際大学の水上義行教授をゲストに迎え、学校カリキュラムの中にどのようにして公害教育を取り入れるかということについて話し合われました。2日目には、実際の教育現場の中でイタイイタイ病を取り扱った授業をどのようにしているかについて富山市立宮野小学校の先生である柳田和文先生にお話をいただきました。このブログでは2日目の分科会の話をしたいと思います。

宮野小学校はイタイイタイ病患者が最も多かった地域にあり、その校区には土壌復元工事が行われた地域も含まれています。そんな宮野小学校に赴任してくるまでは、富山県出身の柳田先生ご自身もほとんどイタイイタイ病に対して知らなかったそうです。そこで、4年生と6年生を対象に、イタイイタイ病を教材にした授業を実施されました。4年生は社会科の授業の中で、特にイタイイタイ病の原因究明にご尽力された萩野昇医師についての調べ学習を行い、6年生は総合的な学習の時間の中で「イタイイタイ病について伝えよう」という主題で授業が展開されました。いずれも県立イ病資料館の見学や被団協の髙木代表理事のお話を聞くなど、学校外の資料やネットワークが活用されました。小学6年生は神岡鉱業にも見学に行ったそうです。

分科会の中では、柳田先生から授業を実践していく中での工夫や気づき等をご紹介いただきました。印象に残ったことは、イタイイタイ病を勉強し始めた当初、生徒たちは神岡鉱業に対して強い批判的な印象を持ったのが、髙木代表理事のお話を聞くことでそれが少し変わった、ということです。公害を直接的に引き起こした原因企業である事実は揺るがないにしても、その後の「緊張感ある信頼関係」に対する企業側の努力について当事者である髙木さんがお話しをされたことで、生徒たちの神岡鉱業を見る目が一元的でなくなったのです。髙木さんから患者の立場で企業の批判をたくさん聞くと思い込んでいたら、むしろ企業を認める話もされたことに意外に思った生徒も中にはいたかもしれません。

 

分科会の様子

分科会の様子

 

書籍や映像などの資料を自分なりに受け取って「公害はいけない。原因企業は悪だ」ということを決めるつけることは簡単だと思います。もちろん事実は事実として受け止めなければなりません。ですが、大切なのはそこで思考停止をするのではなく、企業の従業員も同じ人間であるにも関わらずなぜそれが発生したのか、発生後にどんな努力があったのか、これから先二度と起こさないためにどうするかなどを考え始めることだと思います。そして、それを考え始める時にはやはりなるべく多くの立場の人から話を聞く必要があると思います。柳田先生の授業も決して学内で完結させるのではなく、その地域全体を学びのフィールドにし、関係者と生徒たちを直接交わらせたことが重要だったと改めて思います。

その公害教育を学ぶ過程は子どもだけではなく、大人にも当てはまることです。そのような意味で、柳田先生を通して、分科会参加者の方もまた公害教育について生徒たちから学んだような時間となりました。

 

すっかり長くなってしまいましたが、次回のブログでフォーラム全体のまとめをしたいと思います。

kensuke eguchi

公害資料館連携フォーラムin富山 Vol.3 ~未来に向けた関係づくり~

新年あけましておめでとうございます!2015年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

ブログを書かねばと思っているうちに、年をまたいでしまいましたが…前回に引き続き「公害資料館連携フォーラムin富山」の報告をしたいと思います。

このフォーラムでは、二日間をかけて合計7つの分科会が開催され、いずれの分科会でも濃い意見交換がなされましたが、私が参加した中で特に印象的な分科会を2回に分けてご紹介したいと思います。

一つ目は、6日に開催された「企業との関係づくり」の分科会です。こちらの分科会は日本自然環境専門学校の五十嵐実さんの進行の下、神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会の髙木代表理事、県立イ病資料館の村田副館長、そしてイタイイタイ病の加害企業である神岡鉱業株式会社から中山常務らが登壇しました。緊張感ある信頼関係をこれまで相互に築いてきた被害者団体と加害企業ですが、2者がそろって公開の場で話をするということは初めてだったそうです。またその場に客観的な立場でもある公立資料館が入ることにより、単純な被害者対加害者という構図にはならなかったように思います。

企業との関係づくり 分科会

企業との関係づくり 分科会

まず中山常務から公害の発生源対策を中心にこれまで続けてきた取組を話していただき、その上で五十嵐さんからの質問に対して3名が答えていくという形式が取られました。「40年を越える継続的な関係性の維持にもっとも気を使ったことは?」など、まさに当事者のみが語り得る事柄を共有することで、分科会全体で「被害者団体-加害企業-資料館」の関係づくりについて学びを深めていきました。登壇者の発言の中では、基調講演にも結び付いた髙木会長の「対話により前進も反省も生まれる」という発言や、中山常務による「ここまでやっている企業はないと言えるほど、従業員が全員「公害監視員」の役割も負っている」という発言が特に印象に残りました。

 

2013年12月に「イタイイタイ病の全面解決に向けた協定書」が取り交わされました。しかし、イタイイタイ病を後世に語り継ぎ、二度と繰り返さないという点においてはむしろこれからが重要になってくると思います。過去に起きたことから互いに目をそらさず、忍耐強く関係性を作ってきたことがこのような分科会の場につながり、さらにこれから先の持続可能な未来にもつながっていくのだと強く感じました。

 

kensuke eguchi

公害資料館連携フォーラムin富山 Vol.2 ~企業との対話の可能性~

前回のフィールドワークに引き続き、今回は「公害資料館連携フォーラムin富山」の最初に行われた基調講演について書きたいと思います。

今年の「公害資料館連携フォーラムin富山」では、「資料の保存と活用」「展示」「アウトリーチ」「企業との関係づくり」「学校との関係づくり」「マネージメント」という6つの分科会の他に、「企業とのかかわり方」という共通テーマで開催されました。このテーマはイタイイタイ病の原因企業である神岡鉱業株式会社、その親会社である三井金属鉱業株式会社と被害者団体であるイタイイタイ病対策協議会との1972年の裁判の和解以降、40年以上にもわたる「緊張感ある信頼関係」に学ぼうということで設定がなされました。毎年継続して行われる住民による工場立ち入り調査など、この公害問題における被害者と加害者との関係性の維持は国内で最も確立しているといってよいと思います。

さて、この共通テーマに関連してフォーラムの冒頭に、株式会社クレアン代表取締役の薗田綾子さんより「企業との対話の可能性」というテーマで基調講演を頂きました。信頼性としてのCSR(企業の社会的責任)という言葉の説明から、大手企業がステークホルダーダイアログによって実際に変わった事例について紹介してもらいました。
「対話のある社会と対話のない社会」の比較を個々人で考える時間なども効果的に取り入れられ、これまでCSRという言葉が身近でなかった人にとっても、非常にわかりやすい講演となったのではないかと思います。結果的に、「対話」という言葉が本フォーラム全体における一つのキーワードとして参加者の心に印象強く残りました。

薗田さんによる基調講演

薗田さんによる基調講演

公害問題はその発生当初から「被害者(=患者、市民)VS加害者(=企業、行政)」という構図の基に反対運動が行われ、その中には互いに乱暴な手段も用いられていました。しかしながら同時にそれらの長い運動の一つの成果として、今日における企業のCSRに基づく対話の窓口が生まれたのだと思います。

企業も市民団体も同じ地域に生きるステークホルダーとして、互いにより良い社会に貢献するような下地作りとしての「対話」が大切だと痛感いたしました。

kensuke eguchi

公害資料館連携フォーラムin富山 Vol.1 ~ただの田んぼ?それとも…~

協働取組加速化事業の全国案件として継続採択された公益財団法人 公害地域再生センター(あおぞら財団)が実施する「公害資料館の連携 -参加型学習で被害者・企業・行政・地域をつなぐ-」の主要事業である「公害資料館連携フォーラムin富山」が先日開催されました。こちらは、昨年度の新潟での開催に引き続き2年目の開催となります。

12月5日(金)~7日(日)の2泊3日で非常に中身の濃いフォーラムでしたので、複数回にわたってその模様をブログでお伝えしたいと思います!

 

12月5日のみぞれまじりの雨が降る中、初日のフィールドワークが始まりました。50名の定員も数週間で埋まるなど、関心の高さがうかがえます。

 

さて、JR富山駅と富山空港で参加者を載せた大型バスが最初に行く先は富山県立イタイイタイ病資料館。この3日間のメイン会場となる場所で、まず鏡森館長のご挨拶があり、その後に職員の方に資料館を案内して頂きました。約2年半前にオープンしたこの県立イ病資料館に初めて訪れた方も多く、富山県の暮らしの風景、公害の発生、救済や復元のやり方など、まずは概要について資料館の展示を使いながらご説明頂きました。

富山県立イタイイタイ病資料館を見学

富山県立イタイイタイ病資料館を見学

その後はバスに乗り込み、汚染から復元された復元田とその記念碑、富山県の復元事業を待たずして住民の方々が自主的に行った自主復元田とその記念碑などを回りました。ただし、あいにくの雨だったので、イタイイタイ病解明にご尽力された萩野昇医師のお墓と神通川は、バスの中から見るのみとなってしました。

 

 

 

 

自主復元の碑

自主復元の碑

バスのフィールドワークの最終目的地は、イタイイタイ病救済・再発防止のための運動拠点として建設された清流会館でした。そこで、これまで被害者団体をリードされてきた一般財団法人 神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会代表理事の髙木勲寛さんからまとめの解説をもらい、その場でこのフィールドワークの振り返りということで、少人数グループに分かれて感じたことなどを共有しました。終始熱心な質問が飛び交い、大変実りのあるフィールドワークでした。

 

 

 

清流会館にて

清流会館にて

私個人は、この協働取組事業の一環で昨年の夏に初めて富山、そして県立イ病資料館に来ました。その時には、富山空港から歩いて資料館に向かったのですが、行きは一見普通の田んぼが広がる風景だったのが、帰りに改めて見てみると、かつて汚染されそこから復元された田んぼということで完全に違って見えました。また、今回のフィールドワークで復元にかける思いとして、おいしいお米が食べたいという農家さんの強い思いをうかがうことができ、さらに特別な田んぼに見えました。

「公害」という言葉だけでは、つい自分自身とは関係ないものだと捉えてしまいがちですが、例えば普段何気なく食べているお米、そのお米を産み出す田んぼ、その田んぼに流れる川、その川の上流…といったようにそれぞれのつながりや背景まで見ることで、受け止め方が変わってくるように思います。

実際に現地に足を踏み入れることの価値を感じられた一日となりました。

土壌復元された田んぼ

土壌復元された田んぼ

 

 

 

 

 

 

 

kensuke eguchi

今年の12月は富山!今年も公害資料館連携フォーラムが開催されます。

8月の末に富山に行ってまいりました。

当日、羽田空港発の飛行機が、視界不良のため富山空港に降り立てることができず羽田に戻り、急きょ越後湯沢経由の新幹線で向かうというトラブルを乗り越え参加してまいりました、、、思った以上の長旅になってしまいました。

出張の目的は「平成26年度 地域活性化に向けた協働取組の加速化事業」の全国案件の一つとして採択され、GEOCが支援をし、あおぞら財団が事務局を務める「公害資料館連携ネットワーク」の会議に参加するためです。

こちらの事業はこれまで個別に運営されていた公害資料館同士をつなげ、より未来に対しての情報共有や発信をするネットワークを作る事業になります。
当然、各地の公害では背景が異なりますし、資料館も公設と民設とではその意味合いも大きく異なるものでした。

ですが、現実として資料が活用仕切れていない、町づくりや環境教育など他分野と十分に連携できていないなどの課題も各地にあり、さらに、公害患者ご本人もしくは近親者のいわゆる”語り部”さんに頼ってきた「公害を語り継ぐ」という行為がご高齢化などにより難しくなってもくる中で、改めて「公害教育」総体として、今後何をどのようにして誰に伝えるのかを見渡せる状態にしていくことが求められてきました。

そんな中、昨年「公害資料館連携ネットワーク」が発足し、初めて全国の公害資料館関係者が一同に集う機会として「わくわく広げよう公害資料館の”わ” 公害資料館連携フォーラムin新潟」が12月に開催されました。
今年はその第2弾となる「未来に共につなげよう公害資料館の”わ” 公害資料館連携フォーラムin富山」が開催されることとなりました。

神通川

さて、富山県の公害と言えば、四大公害病の一つである「イタイイタイ病」です。
小学5年生の社会科の授業で四大公害病を習ってそれっきり、という方も多いと思いますが、神通川で発生したイタイイタイ病の特徴の一つとして、患者団体と被告企業とで長年培われてきた「緊張感ある信頼関係」があります。
1968年政府によって公害病の第一号として認定され、その後1972年の患者側勝訴の翌年から、鉱山の立ち入り調査を毎年企業は受け入れてきました。
長年の立ち入り調査や汚染田の土壌復元、それらの基となる長年の対話と行動の結果、昨年2013年の12月に「全面解決」に向けた合意書が調印されました。

今年のフォーラムはそのような富山で開催されるということで、「企業との関わり方」がテーマの一つとして選ばれました。
これからの社会を考える上で大変重要な機会だと思います。

土壌復元された田んぼ

土壌復元の碑

下記、現時点でまとまっているフォーラムの案内になります。
関心のある方はぜひ今からご予定を空けておいてください!

【開催概要】

未来に共につなげよう公害資料館の”わ” 公害資料館連携フォーラムin富山

公害教育には、キャリア教育やリスクマネージメント、人権教育に通じる可能性があります。各地の取組みを共有し、資料館の”わ”を広げて、これからの「新し い公害教育」を模索する試みをこの富山のフォーラムで行います。
そして、このフォーラムにて、資料館、公害教育、公害反対運動、地域再生活動、行政、企業、環境NPOなど、立場の違う人が集まって、顔が見える関係になり、協働・信頼関係を築きたいと考えています。
今年のフォーラムでは、共通テーマ「企業とのかかわり方」についても議論を行います。

〇日 程:2014年12月5日~7日
〇会 場:富山県立イタイイタイ病資料館(〒939-8231 富山県富山市友杉151)
〇主 催:公害資料館ネットワーク
〇共 催:環境省、富山県
〇後 援:富山市、富山県教育委員会、富山市教育委員会、日本環境教育学会、日本環境教育フォーラム(予定)
〇事務局:公益財団法人公害地域再生センター(あおぞら財団) 環境省「平成26年度地域活性化に向けた協働取組の加速化事業」全国事業
〇参加費:資料代 500円 フィールドワークバス代 1000円(予定)

[12月5日(金)]
フィールドワーク
復元田、自主復元、清流会館、資料館、神通川 など

[12月6日(土)]
午前:公害資料館ネットワーク会議/午後:フォーラム 基調講演、分科会

[12月7日(日)]
午前:分科会
午後:全体会
(富山駅および富山空港から会場までの送迎バスあり)

<分科会>
資料の保存・活用/展示/公害資料館のアウトリーチ(フィールドミュージアム)/企業との関係づくり/学校との関係づくり/資料館マネジメント

<公害資料館ネットワーク 構成団体>(五十音順)2014/7/10現在
尼崎市立地域研究史料館/尼崎南部再生研究室(あまけん)/イタイイタイ病対策協議会 清流会館/一般社団法人あがのがわ環境学舎/一般社団法 人水俣病センター相思社 水俣病歴史考証館/北九州環境ミュージアム/公益財団法人公害地域再生センター(あおぞら財団)/公益財団法人水島地域環境再生 財団(みずしま財団)/公害被害者総行動実行委員会/国立水俣病総合研究センター 水俣病情報センター/富山県立イタイイタイ病資料館/新潟県立環境と人 間のふれあい館―新潟水俣病資料館―/水俣市立水俣病資料館/四日市市環境保全課 四日市公害と環境未来館準備室/立教大学共生社会研究センター

<事務局・連絡先>
公益財団法人公害地域再生センター(あおぞら財団)
〒555-0013 大阪市西淀川区千舟1-1-1あおぞらビル4階
mail webmaster(*)aozora.or.jp ※(*)を@に変更してください。
TEL 06-6475-8885/FAX 06-6478-5885

K.Eguchi

協働取組加速化事業 函館の会議に出席

8/27 北海道大沼のラムサール協議会の見学と会議に出席してきました。ちょうど涼しくなった時期と重なったこともあり、暑い東京から晩秋のような涼しさにからだがびっくりしました。
大沼から眺める駒ケ岳は、ここが本当に日本かと思わせる絶景です。この景色は、新日本三景と呼ばれています。平成27年度末には新幹線が函館まで伸びるので、この素晴らしい景色を見に訪れる方も増えるでしょう。
新幹線開通によりたくさんの観光客を招きつつ、この美しい自然をどう保全するのかが、この事業のテーマです。
見学会では、ボートの波による大沼の浮島侵食の状況やアオコ発生の状況をみたり、酪農家の取組などについてお話を聞かせていただきました。
大沼はラムサール湿地に登録されていて、今回は大沼保全計画を地域住民の声を反映するボトムアップ型で素案を策定し、七飯町に提案するというものです。
地域には様々な利害関係もありますが、将来世代に何を残すのかという視点で、地域の人が納得する目標を定めてほしいものです。
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突然の震災、非常時にあなたの団体はどう動きますか?-中間支援組織交流会inひろしま報告-

8月7日、EPO東北とひろしまNPOセンターが主催して開催された「中間支援組織交流会inひろしま」に当日の進行役として参加してまいりました。

 

今回は「東日本大震災が発生した時に東北地方の中間支援組織がどのように判断して、どのように振る舞ったか」をテーマに、実際に震災を経験した東北地方の団体と、今後東南海地震等への備えが必要と言われている中国地方の団体との、いわば経験交流の場でした。

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まず、EPO東北の小山田さんより導入ともなる東日本大震災のふりかえりを行いました。被害の映像と数字中心に、いかに東日本大震災の被害が大きかったか、改めて確認をするような内容でした。

続いて、東北地方から宮城県、秋田県、山形県の3団体から事例紹介として、それぞれ個人としてまた団体として被災時にどのように振る舞ったかという話を頂きました。その後中国5県の中間支援組織からの参加者、そして見学者として来ていた県や市、社会福祉協議会の職員を巻き込んでディスカッションを行いました。4時間に渡る交流会でしたが、会の盛り上がり以上に経験に基づく極めて現実的な話をできたことが大変印象的でした。

 

交流会の中で、特に私がキーワードだと感じたものをいくつか紹介します。

 

ネットワークを作っても、目的や意味が明確でないとそれは機能しない。

多様な立場の人たちが協力しよう、ネットワークをつくろう、ということそのものに対して反対する人は少ないでしょう。機能すれば当然有効です。しかしながら、それがネットワークの為のネットワークであったり、形式的なものでは機能しません。解決したい問題があり、そのために必要な人や組織が役割分担をしながらつながっていくことこそがネットワークの本質であり、その関係性は一朝一夕ではなく、本気で作るべきものだというご指摘がありました。

 

外部と内部をいかにつなげるか。

震災の発生直後は、緊急的に駆けつけた東北地方外のNPOやボランティア、またいわゆる災害復旧のプロであるいくつかのNGOは大活躍しました。しかし、そのような活動はそもそもどうしても継続性に課題を抱えており、例えば現実問題として、2011年のGW明けにはボランティアの数が激減したといわれています。こういった外部からの支援がメディアなどでも取り上げられやすい一方で、地元に根付いた地道な活動をしているいわば内部の団体と十分な連携を取れていたところは多くはなかったそうです。ニーズの共有という意味でもそうですが、中長期的には地元をやる気にさせることが復興につながっていくので、そのための力を地元の人がつけていくような意識でもって、内外の人が関わり合うことが重要というお話でした。

 

持つべき役割の違い。

今回、同じ東北地方の中でも直接的に大きな被害を受けたのが、福島県、宮城県、岩手県の3県であり、一方で比較的被害が小さかったのが青森県、山形県、秋田県と言われています。特に山形県は、被害の大きかった3県と隣接しているという地理的な特性から、復旧時の交通の要所ともなったそうです。お話の中でも、山形県と秋田県では、同じ東北ということでもどかしさを感じながらも、あくまで中間支援組織として、自分たちが直接ボランティアに行くというより、支援活動をしている団体を支援することや、避難者支援を活発に行ったそうです。このようにして、同じ災害でも沿岸部と内陸部での違いや地理的要因により、当然被害の度合いは変化し同時に担うべき役割も変化するだろう、ということでした。

 

依然として東日本大震災で行方不明者がいらっしゃることや今後の復興に向けて不透明な部分は大きいですが、日本国内また世界中で次の災害がいつどこで起こるか分からない以上は、やはり痛ましい経験から学び、改めて備えることの重要性を感じたひと時となりました。今回の交流会をきっかけに、東北地方と中国地方、また中国地方同士で備えに向けた議論が加速化することを祈っております。

 

Kensuke eguchi