[国内事例59] 海辺の縦割りを紡ぐ“金沢八景- 東京湾アマモ場再生会議” 2011年11月5日

海辺の縦割りを紡ぐ
“金沢八景- 東京湾アマモ場再生会議”

 あらまし

今回の事例は、海岸線の99%が人工護岸になってしまった神奈川県横浜市に、唯一残された自然海岸である金沢区の野島(のじま)周辺を舞台に、アマモ(オモダカ目アマモ科に属する海草)を増やす取り組みを平成14年から協働で行っている、“アマモ場再生会議”を取り上げる。会の名前にアマモの名が入っているが、単にアマモを復活させることだけが目的ではなく、魚や貝の産卵・育つ場、富栄養化した海水の改善、光合成による酸素の供給など、多様な役割を果たす、いわば”海の森”を育てることで生きた海を取り戻そう、という活動である。海辺の管理は、国・県・市・民間の様々な組織が関わっており、縦割りの弊害が出てしまいがちであるが、これらの行政機関に加え、研究機関、NPO、地元&市外からの市民、漁協、地元の小学校・大学など、様々な組織が参加し、緩やかなパートナーシップを組むことで、海の再生を目指している。

 きっかけ 海底清掃のボランティアから活動が広がった

アマモ場再生会議のルーツを辿ると、1981(昭和56)年まで溯る。横浜港の山下公園前の海辺には、漂流してきたゴミが堆積し、せっかくの景観が台無しになっていた。それを憂いだダイバー有志が、ボランティアで海底清掃するために集まった。これがきっかけとなり、“海をつくる会”が結成され、行政や企業の支援を受けながら、海底清掃を続けてきた。
2000(平成12)年頃から、“海をつくる会”メンバーで海洋環境調査会社に勤務(当時)していた木村尚さんは、任意団体として、“海辺つくり研究会”の活動をはじめ、横浜のみなとみらい地区でアマモやワカメの移植実験を開始し、後に横浜市南端の金沢区にある野島でアマモの移植試験をはじめた。“海辺つくり研究会”の活動を、夜間や休日を利用して行ってきた木村さんだが、それだけでは間に合わなくなり、思い切って環境調査会社の役員の仕事を辞め、2002(平成14)年7月に“海辺つくり研究会”をNPO法人化し、専従の事務局長に就任した。“横浜”という日本第二の大都市の港で、アマモやワカメの育成に取り組むという珍しさもあって、“海辺つくり研究会”の活動はマスコミなどでも取り上げられるようになり、次第に多くの人の目に触れるようになっていった。
これと相前後して、同じく“海をつくる会”会員で神奈川県水産総合試験場(平成17年より水産技術センターに改組)の工藤孝浩さんは、個人的に野島でアマモの群落を確認し、モニタリングを行っていた。工藤さんは、アマモの調査を行うにしても、移植などを行うにしても、手間も費用も掛かかり、アマモ場の再生のために、別の形の組織体が必要ではないか、ということになってきた。
こうしたメンバーが集まり、2000(平成12)年頃から、“海をつくる会”、“海辺つくり研究会”、工藤さん(神奈川県水産総合試験場)で、純粋な市民活動として、野島でアマモ場復活の取り組みが始まった。

 “金沢八景- 東京湾アマモ場再生会議”の発足

こうして、野島でのアマモ育成プロジェクトが開始されたのだが、“海”という公共の場で何かをやろうとする時、当然の事ながら管理者に許可を求めなければならない。海辺は管轄が複雑である。野島周辺は漁港法で指定された金沢漁港区域で、隣接する海の公園とその海岸付近の海域は公園地域となり、横浜市環境創造局(旧緑政局)が管理する。その外側の海域は港湾法に基づく横浜港港湾区域(横浜市港湾局)、河川は横浜市下水道局の管理となっている。このほかにも、神奈川県環境農政部水産課、国土交通省、のほか、漁師、漁協、野島対岸の横須賀市地域には日産自動車の工場などもあり、様々な主体が関係してくる。このように、国・県・市・民間が複雑に絡み合って管理している中でアマモ場の再生を行なうという事は、即ち様々な主体とパートナーシップがなければ成立しない。
許可関係をクリアし、何とかアマモの育成にとりかかりはじめた。工藤さんはアマモの種子を水産試験場に持ち帰り、上司の許可を得て栽培実験を始めた。最初は全て仲間内でやっていたのだが、例えばアマモの種子を取るのは、細かな作業の連続であり、人手が必要な作業だ。また、金沢区は新興住宅地であり、そこに住みながらも海を知らない子どもも多い。ならば大人だけで海に入って楽しむのではなく、地元の子どもたちにも参加してもらったら良い、という話になった。そして、地元の小学校とのパイプを持つ、横浜市立大学の教授に声かけたところ、子どもたちを集めてくれた。
その一方で、木村さんは行政の窓口に行っては「一緒に出来ることがあれば、是非参加してください」という事で、いろいろな形で行政と情報共有を行っており、「もっと多くの市民や行政と一緒に、大きくやろう」という機運が高まってきた。こうして、これまで海つくりの活動をしてきた海辺つくり研究会、海をつくる会、などが音頭を取り、市民、市民団体、学校、大学・研究機関、企業、行政などに呼びかけ、「緩やかな形で連携しながら協働していく」ための組織として“金沢八景-東京湾アマモ場再生会議”を2003年6月に発足させた。関係機関が集まって、アマモ場再生のために話し合いを持つ場が生まれたのだ。
“金沢八景- 東京湾アマモ場再生会議”では、民間団体を含めた全体会合の他に、行政の実務担当者を集めた事業調整会議を頻繁に行っており、木村さんは事務局として出席している。中には、様々な担当者がおり、いわゆる「お役所的」な担当者が来ることもある。そんな時に木村さんは、「市民は現場で、一生懸命に汗をかいている。行政の担当者として、一緒になって汗をかく気が無いのなら、この場に来ないで欲しい。」と時には強い口調になることもあるという。

 注目される協働の枠組み

こうした、幅広い主体が参加したパートナーシップ事業の先駆性が評価され、2003(平成15)年には、以下の3件のプロジェクトが進んだ。

  • 横浜市 市民提案型 環境まちづくり協働事業
    横浜市(環境創造局)が平成15年より開始した”市民提案型 環境まちづくり協働事業”に選定され、事業に要する経費として95万円(15年度・上限は100万円)が交付され、最大で3年間実施することになっている。事業実施にあたっては、環境まちづくり協働事業実施要綱第9条に基づき基本的な事項や役割分担等を明示した協定書を、横浜市とアマモ場再生会議で締結しており、NPOの主体性が損なわれないように配慮されている。このような協定に基づく協働としては、先駆的な例と言える。
  • 全国都市再生モデル調査
    内閣府都市再生本部が平成15年に行なった、「全国都市再生モデル調査」提案募集に選定され、アマモ場再生会議は国土交通省関東地方整備局から、平成15年度 全国都市再生モデル調査として「協働で行う都市部の海辺再生調査」を受託した。この調査は、自然と共生した海辺のまちづくりを行うには、市民の自発的な行動のみならず、行政の協力、漁業者の理解、NPOや市民の参加など、多くのステークホルダーに対して、その理解の醸成方法や手続きなどの課題を解決することを目的としているNPO、市民等が協働で行うアマモ場再生実験を追跡し、多様な主体が参加できる海辺の環境再生の可能性を探ることを目的としている。資金源は内閣府都市再生本部が行う都市再生プロジェクトである。
  • 平成15年度アマモ場造成適地選定調査及び造成作業
    海辺つくり研究会は神奈川県から「平成15年度アマモ場造成適地選定調査及び造成作業」(水産庁補助事業)を受託し、事業費の一部を得ることができた。水産庁関連事業では初めてのNPO法人への発注とのことである。これらの事業には、横浜市のような協働の枠組みがないため、委託契約の形態をとっているが、契約の際には事業成果が委託者のみの帰属にならないよう交渉を重ねている。

 

コラム:アマモについて
アマモは、「海草」の仲間である。コンブやホンダワラなどの「海藻」は古来からずっと海の中で生息してきた生物であり、それに対しアマモに代表される「海草」は、一度陸上に進出した海藻が、再び海に帰ったものだ。海藻類は根や茎の区別が無く胞子で増えるのに対し、海草類は陸上植物と同じ維管束植物の種子植物であり、根を張り、茎や葉があり、花を咲かせて繁殖する。
アマモは、イネ科と同じ単子葉類の草本であり、節のある長い地下茎とヒゲ状の根、イネに似た細長い葉を持つ多年草である。種子で増えるほか、竹のように地下茎によっても増える。アマモは、生物のゆりかごとして、極めて高い生産性がある。視界が利く何もない砂地と違って、海草が生育することで立体的で複雑な海底となり、様々な動植物の隠れ家となるからだ。単位面積あたりに換算すると、温帯のアマモ場は落葉広葉樹林に匹敵するほどの高い生産性がある。
昭和30年代以前の野島周辺には、沢山のアマモ場があったそうだ。現在も漁師を続けるおじいさんが子どもの頃は、海に入るとアマモに足を取られて怖いほどに繁茂していて、潮が干いたアマモ場では取り残された魚やエビがいくらでも捕れたという。
ちなみにアマモの名の由来だが、漢字で書くと甘藻であり、読んで字の如く地下茎を噛むとほのかに甘いことに由来する。また葉の形から、リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ(竜宮の乙姫の元結の切り外し)という美しい大和言葉もある。

海は誰のものか? ~横浜市の海岸線141kmのうち砂浜は1%以下

横浜は安政6年(1859年)の開港以来、急速な発展を遂げ海岸線の利用が進んだ結果、現在では海岸線(汀線)総延長141kmのうち、国、市、企業、在日米軍などが利用する場所が大半を占め、市民が海に接する事ができる範囲はわずか13kmしかなくなってしまった。また汀線の殆どは人工岸壁であり、砂浜と呼べる海岸線は”海の公園”の人工海浜800mと、市内唯一の自然海浜である”野島”の500mのみである。横浜という海に由来する名を持つ都市であっても、これまで開発による経済発展が第一であった結果、市民にとって「海」は近くて遠い存在となってしまっている。それが、こうした市民主導の取り組みによって、自然と調和し、良好な環境の中で暮らしたい、という市民の願いが、ようやく形になってきたのではないだろうか。
また、“金沢八景-東京湾アマモ場再生会議”では、子ども(特に地元)の参加を積極的に行っている。これは、アマモ場再生の次世代育成も兼ねた、実践的な環境教育の場としても捉えているからだ。環境教育は範囲が広く、様々な取り組みがあるが、大人が頑張っている姿を子どもたちに見てもらい、大人の中に参加することによって、子どもたちが社会性と環境の重要性を身につけることこそ重要と考えているからだ。

取材を終えて

“金沢八景-東京湾アマモ場再生会議”の事務局は、(特活)海辺つくり研究会がボランタリーに行っている。とても大きな枠組みだと思うのだが、行政からお金を貰っている訳でもなく、再生会議もそれほど予算を持っている訳ではない。行政でなくNPOが事務局をやる事の最大のメリットは、「海を良くしたい」という気持ちを事の中心に据えられるからだ。行政は、公共を担う立場であり、それぞれの任務を果たすべく活動している。特に横浜の場合は、「港湾としての海」、工場、発電所、コンビナートとしての「産業利用としての海」という形の利用が極端に進んでしまった。これまでは、「人が自然と触れ合う場所」という認識が、残念ながら欠けてしまっていた。今後、このようなパートナーシップによって海とその利用方法について考える場が出来、オープンな議論によって、多くの人が納得できるような形で利用法が出来れば良いと感じた。

また、(特活)海辺つくり研究会の木村さんは、それまでは会社で役員をされており、NPOに職を変えてから、月収が五分の一になったという。そうした中でも懸命にアマモ場の再生に取り組んでいる。公共の役に立つ仕事をされているので、行政からも分担金等を拠出して、こうした活動を支援する仕組みがあっても良いのではないか。そうでないと、こうした新しい公共セクターの運営を、個人のボランティア精神に頼ることになってしまう。助成金なども事業費だけで人件費として使えないことも多く、認定NPO制度などの仕組みを、早急に整える必要があるとも感じた。

海辺という公共の地で何かするには、関係主体に理解してもらわなければできず、それを実施するには並々ならぬ熱意と努力が必要とされるはずであるが、お話を伺った海辺つくり研究会事務局長の木村尚さんは、「楽しくやることが継続の秘訣ですよ」と語り、海を愛する男のロマンが感じられた。海を思う気持ちが、”アマモ場の再生”(=健全な海つくり)というプロジェクトの動機であり、自主事業として先行して手弁当やってきたものに行政をうまく巻き込むことで、協働の輪が広がりを見せている。また、全国各地でアマモ場再生の動きがあり、このような自然再生を通じて、地域のコミュニティの再形成なども期待できる。

Report;伊藤博隆@地球環境パートナーシッププラザ(GEOC)