『人にはどれだけのものが必要か』を読んでみる

こんにちは☆
『人にはどれだけの物が必要か―ミニマム生活のすすめ』中公文庫 を読んでみました。

新聞に紹介されていた本ですが、初版は1999年で、今年3月を含めて2-3度再版されたようです。引っ越しを機に、いろんな不用品を見ては、なんと、無駄使いをしていたことかと反省しながら手に取ってみました。

言語学者である著者。元は動植物が好きだったことから一度は医学部に入った方なので、ハイブリッドな考えを持っているのでしょうか。右脳と左脳を刺激されるコメントの数々。

先生の言葉いは特徴がある・・・

自宅や勤務先で集めた新聞をリサイクルした時、これでブラジルや東南アジアの木を何本か救えた思った。

・カバンが剥げて修理に出したら、6000円かかったが、これで豚何頭かが死なずに済んだ。
・大量のエネルギーを使って生まれた紙や木材などの製品を無駄死にさせない・・・

先生は資源やエネルギーを命ととらえている。実際にそうでもあるのですが、命をいただきながら製品を作っていると理解すればこそモノは大切にするし、命を奪って作ったものを、一瞬で役割を終えてしまう使い捨てなんてもってのほか、というのも納得。

先生のモノを大切にする徹底ぶりは相当なものなので、先生自身、自分の真似をしなくてもいい、それぞれができることをすればいいとは言っているのですが、モノを大切にすることが経済的にも見合わず、先生の“モノを救おう”という発想や行動が異端に見えてしまう社会の危うさを感じながら、少なくとも私たちはどれだけのエネルギーを使って製品が生み出されたかを想像しなくてはいけないのだろうなと思うし、そうすることで、どうしてもモノを手放す時、自然と“幸せな余生”(リユースやリサイクル)も考えられるようになるのじゃないかなと思ったりして。

今は、科学的に説明がつくとか法的、経済的に合理的にかなうならOKになってしまったけれど、日本人は元来、自然に対する畏敬の念があって、モノを粗末にするのは罰があたるとか、命をいただきながら生きているとか、もったいないという倫理観、生き方を持っていたハズなのに、現代はそのアンテナが鈍くなってきているのかもしれません。今、日本人自身が忘れてしまっったを価値観を世界から再評価される形で、モッタイナイという言葉や人間が自然の一部だとする“自然との共生”という考えが再認識されてきていますが。

・・・とはいえ、キャッチフレーズだけが独り歩きして、実際の経済活動とかけ離れてきているようなイメージも。本の中で、日本の伝統家屋が100年持ったという時代から、今は35年に減ってしまったと言っています。そして、省エネを謳いながら、製品サイクルが短くも売れ続けていくことがよしとされ、結果的にエネルギーをたくさん使うことになっています。
昨今、原発が停止しているので、CO2の排出量が増えている・・・と言うけれど、そもそも省エネを推進しながら、原発を必要なほどエネルギーを消費する社会が前提になっている話に、素人ながら、矛盾を感じることがあります。

そう・・・、この本を読みながら、昨年度のESD事業の授業の一コマを思い出しました。
循環をテーマにした授業で、科学的な知識、理論を伝えながらも、一番丁寧に教えていたのは“命をいただたいて生きていること”、“もったいない”という心。子供たちの心にも確かに刻まれていたようです。この子達が大人になった時、莫大な儲けをもたらす技術を目の前にした時にも、”命“の視点や哲学や倫理感を持って世に出す判断ができる、そんな人材になることを願って・・・。

s.shirai