公害から学ぶこと~九州に行ってきましたその3~

こんにちは!

九州に行ってきましたの第3回目になります。
最終回は一般社団法人水俣病センター相思社の水俣病歴史考証館についてです。

水俣駅からは少し離れた袋という小高い地域にあります。もともとこの辺りが患者の多い地域であったことや、町の中心部にこのような施設が作られることへの反発など、建てられた背景にも様々な理由があるそうです。ちなみに急な登り道や細い道を越えていくので自転車で行くにはかな~りいい運動になりました。

考証館からさらに少し上ると、遠くに天草諸島も。



水俣病歴史考証館には水俣病そのもののことだけではなく、漁業に使われていた道具などいかにして人々が不知火海と暮らしてきたか、またチッソ・行政と患者の方々との闘いの記録が生々しく感じるほどに残されていました。前述のような公設の資料館も公式資料の保存というで重要ですが、同時に民間の視点で、かつ資料館ではなく「考証館」であるということが、過去を過去だけのものとせず水俣病を繰り返してはならない、という強いメッセージそのものだと感じました。

 

3つの施設を回り色々な方からお話を伺うも、なかなか自分の中でも明確なまとめができているわけではなく、悔しく思います。ただ、実際に現地を回ることで感じたことは、
・水俣病の被害に今なお苦しんでいる人がいるということ
・水俣病は単なる病気ではなく人と人との関係性、差別と密接に結びついているということ
・水俣病は人命より経済発展が優先されたことの一つの結果であること
でした。

もちろん以上のことは水俣病に限らず他の公害問題でも当てはまります。なによりも教訓を引き継ぎ悲しみを繰り返さないようにすることがこれからの世代に求められていると思いますが、具体的に何をしていけばよいでしょうか。例えば、一個人として公害資料館に親しい人と行ってみるとか、会社でも話題に挙げる、などあると思います。身近なことから始めていきたいですね。

さらにもう少し大きな枠組みで、各地の公害資料館同士のネットワークをつくる、というのが今年度の協働取組全国事業のあおぞら財団さんの事業になります。GEOCとしてしっかりご支援できるように頑張っていきたいと思います。

 

ローカル線の「肥薩おれんじ鉄道」に乗って帰路へ。道中お世話になった皆さま方、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Kensuke Eguchi